頭で理解するのと直接体験するのとは
あまりにも違っていて
こういうことだったのか!と本当の意味で体験してみてから
これまで頭で理解した ”つもり” だったのだ、と気づく
わたしはどれほど長い間
瞑想しよう、とし続けてきたことか
どれほど長い間
安心できる場所を探し続けてきたことか
それは、するものでも
到達できるものでも無かった
それは自分自身の内側奥深くに
あたりまえにいつでも見守ってくれてるみたいにそこにあり続けて
あたりまえにいつでも見守ってくれてるみたいにそこにあり続けて
それでいてそこには何もない
その源の純粋な存在は
至福ですらもない
それすらも超越していて
そこから一歩はみ出した時にしか
それは至福だった、と認識できないような
それはあらゆる二元性を超えたところ
ああ、どんなに言葉を重ねたって
言い表すことができない故に
遠い遠い昔に忘れ去ってしまっていたこの感覚
それを直接体験させてくれたこの機会
会場内は撮影禁止だったので公式ホームページの写真を掲載させていただいています |
2月の13日から3月10日まで
インドのリシケシで開催された
Open Satsang with Moojiに2月の23日から参加してきました
サットサングとはヒンディー語で
Sat=究極の存在・真理 Sang=共に居ること、集まり 融合する
という2つの言葉を合わせたもので
” 究極の存在と共に居ること “といったような意味で
聖者や賢者と呼ばれる、高尚な人々(サードゥー、出家者など)と共に過ごし、その教えを授かるような場をあらわす意味で使われています。
Moojiは
真我の探求(Self-enquiry)を推奨したインドの聖者ラマナ・マハルシの
弟子のひとりの、パパジと呼ばれるH. W. L. Poonjaの弟子で
弟子のひとりの、パパジと呼ばれるH. W. L. Poonjaの弟子で
サットサングを通して無限の真我の状態を
直接体験するべく導いてくださるような存在です
世界中からたくさんの人が集まっていました |
一体何人の人が集まっていたのだろう
1,000人は軽く超えているような会場で
英語がほとんど話せないような私は
きっとただの1参加者として
そのような場をただ体感するだけの旅になるのだろうと思っていたけれど
想像できなかったほどあまりにも素晴らしく
濃厚な体験をさせていただいて
帰ってからもう2週間も経つというのに
今だにときおりむせび泣いたり
放心状態になってしまったりしている
会場はリシケシのガンガの近くのアシュラム |
世界中のさまざまな経典や教えは
結局は同じようなこと
全てはマインドが創り出した幻想であり
私たちの本質は何も無い
無限に自由で幸福な存在である
ということを様々な道筋で
示しているように思う
それはあまりにシンプルすぎて
説明することが難しい
言葉を超えたところ
説明することが難しい
言葉を超えたところ
頭で理解しようとすればするほど
遠ざかってしまう
そのようなことを、直接体験することで
感覚として理解させてくれるというのが
Moojiの素晴らしいところだと私は感じています
Youtubeに日本語の訳をつけてくださってあるものも
たくさんアップされていて
(最近のはあまりないのだけれど Mooji 日本語 で検索してみてください)
それを片っ端から見終わってから
Mooji、Papaji、ラマナ・マハルシと本を読み
同じくPapajiの弟子の一人の
ニーラジャさんが来日された時の瞑想会に参加して
直接体感する、ということの大切さを実感して
インドにMoojiに会いに行く、と決めた
そして、実際に行ってみて
この体験は、素晴らしかった、なんて言葉で
表すことさえもったいないようなものだった、、、
直感的に
今まで探し求めていたことの答えが全てここにあって
もう、何も探さなくていいし
何の努力も必要なくて
ただ、静かに安心してこの状態を
確立することだけなのだと感じた
バジャン(キールタン)もとても素晴らしかった |
これまでに、ときどきふと、
これは、何かおかしな宗教の妄信的な信者
のような状態なのではないのか、、、
などと、全てを疑ってみたりもしたけれど
それでも、やっぱり間違ってない、と
確信できたのは
どんな辛い時や不安定な時も
彼の声を聞いていると
不思議なくらいぐっすりと眠れる、ということ
そして、現地で驚いたのは子供が彼から離れたがらなかったり
Satsangという場であるにも関わらず
まだ、話の半分も理解できそうにないような小さな子供が
なぜか大人しくその場に座ってじっと耳を傾けていて
それが外の広い空間で走り回ろうと思えば
いくらでも簡単に抜け出せるような会場だったのにも
関わらず、だったのだ
そのことが、その場のバイブレーションが
いかに純粋で心地よいか、ということを証明しているようにも
感じられた
理屈ではなく
あらゆる感情を超えたようなところにあるものが
なんどもこみ上げては涙が溢れた
その場に到着した瞬間から
そして帰ってきて随分たった今でも
まだ、それがどういう意味なのかもよくわからないままに
その感覚は何度もやってくる
まるで固く滞っていた心身が
少しずつほどけては外に流れ出すかのように、、、
本当は3月3日の夕方には帰路につく予定だった
もちろんそこまででも十分自分自身の学びは深まったのだけれど
だけど、これをどうしても少しでも日本のみんなにも伝えたい
って思ったら
どうしてもあと1週間、最後まで残らなければと感じた
そうしたら、ちゃんと導かれるように機会は訪れた
昼食にアシュラムの近くのお店でターリーをいただいていると
「どこから来たの?」と(英語で)
声をかけてくださった
シンガポール人のジャスミンさん
右も左も良くわかってなさそうな私を見かねてか
本当に良くしてくださって
詳しくは良く分からないのだけれど
おそらく古くからスタッフとして関わっていらした方なのだろう
中心的なメンバーともとても親しくしておられて
中心的なメンバーともとても親しくしておられて
アジア系の人を見かけると声をかけて
みんなが少しでもMoojiとの接点を持てるように
母親のように色々と世話をしてくださっていた
夕食も、私たちのホテルでみんなで作って食べているから
いつでも来なさいと誘ってくださったり
スタッフしか入れないアシュラムでのMoojiとのランチ会にも
2度も入れていただいて
(食後のミーティングは結局また
いつでもSatsangが行われているのでした)
その2回目のとき
たぶん、もうこんなに近くにいさせていただけるのは
これが最後の機会だとわかっていた
もう、今しかないと必死だった
ジャスミンさんも私がMoojiに直接話しかけられるように
手招いてくださって
このまま帰るわけにはいかない
勇気をふりしぼって彼の座る前に行き
「 私は英語がほとんど話せません
私にはバイブレーションを感じることだけです
だから、あなたに歌を歌ってもいいですか?
あなたが(あなたの師である)パパジにそうしたように」
と夢中で合ってるのかわからない英語で語りかけると
スタッフの方からマイクが渡された
もう、声がどうなっちゃってるのかもよくわからないくらい
必死で
だけど周りの皆さんも一緒に歌ってくれて
Moojiは目にうっすらと涙を浮かべながら
私の手を握って
その間ずっと見つめてくださっていた
きっとパパジに歌った時のことを
思い出していたのかな
そのあとHugをしてもらいながら
大きく2回
一緒に深呼吸した
この時
膨大なエネルギーが私に流れ込んで
これを書いている今もまた号泣してしまうのだけれど
それはしみじみと歓びの涙が溢れると言うようなものでなくて
突然咽び泣くように大きな塊がこみ上げてくるのだ
それはまるで何万年もの間、何百回も生まれ変わりながら
そうと気づくことすらないままに さまよい続けてきた魂が
ようやく、遂に探し求め続けていた故郷にたどり着き
わたし以上にわたしを理解しつくしてくれているような
最愛のひとと抱擁する瞬間
というのが
きっと言葉で表せる
一番近いたとえ
なんだろうと思う
今はまだ、少しずつだけれど
この体験を少しでもシェアしていけるように
準備をしています
毎日 私の中で
新しい感覚が根付いてゆくのを感じながら、、、。